■ IWGP

薄紅センチメンタル
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◇ 女神の部品 ◇


 新年の喧噪もとうに過ぎ去ったというのに、池袋の街は相変わらず騒がしい。まあそれでも、冷たい風が吹き抜けていく西口公園は落ち着いている方だろう。なにせどんよりとした重い雲のせいで、朝からほとんど気温が上がっていない。この寒さで人が少ないのだ。誰だってこんな寒い日は少しでも暖かい所を探す。
 そんな中でも俺が公園内の定位置に座るのは、待ち人がいるからだ。
 約束の時間を過ぎて二十分、連絡のひとつもないのに待ち続ける俺って律儀。
「暇そうだな、マコト」
「うわっ」
 真後ろから声を掛けられるという予期せぬ出来事に、俺は座っていたパイプから滑り落ちそうになる。聞き覚えのある声の主は池袋のガキの王様。
「驚かすなよ」
「気付いてなかったのか?」
 唇の端だけをわずかに上げた薄笑いで上から見下ろされるのだけでも嫌なのに、言葉でも見下された。俺はお前と違って気を張っているときでもなきゃ人の気配になんて気付かないんだよ。
「これから飲みに行くんだが、お前も来ないか?」
 俺がふて腐れているのにも気付かず、タカシは誘いの言葉を掛けてくる。
「暇じゃないんだよ、今日は」
「どう見ても暇そうだ」
 見た目はそうなんだけど、現在待ち合わせ中の俺はここを離れる気はない。
「人を待ってるんだよ」
「待ちぼうけを食わされてるんだろ」
 タカシの言い様はいやに断定的だった。どこからか俺の行動を見ていたのかもしれない。
「なあ、マコト」
 その声音は相手を言い含めるような感じだった。俺はこの声を知っている。二人きりでいるとき、俺を欲情の波にさらうために耳元に吹き込まれる声だ。こんな外の他人の目がある場所で掛けられるものではないはずだ。
 何を考えているんだとタカシを振り仰げば、さっきよりも意地の悪い笑顔が浮かんでいた。引っかけられた気がして、俺の気持ちは沈んでいく。それに従い、口調がとげとげしくなる。
「今日はいやにしつこく誘うな」
 タカシは普段同じことを何度も聞いたりしない。
 一呼吸おいても返事がないので続けた。
「妬くなよ、タカシ」
 滅多にないような行動の裏にある理由を当てずっぽうで言ってみる。
「お前が持てるのは知っている」
 あっさりと流された。
 けれどそれは言葉だけのようで、身を翻して俺の側から離れていく。すぐさまボディーガードが王様の元へ集まってくる。
 表面上はいつもと変わりなく見えるタカシの背中を見送っていると、その方向から俺の待ち人は姿を見せた。小さな体が人の間を縫ってやってくる。そのスピードが速いのは、以前二人で買いに行ったインラインスケートで滑ってくるからだった。
「ヒロキ、こっちだ」
 俺が立ち上がって自分の居場所を知らせると、ヒロキはすぐに気付いて手を振った。
 俺の声にタカシも気付いたのか、顔だけこちらに向けて待ち人が誰だったのか確認しているみたいだ。タカシはヒロキを知っている。だから振り返っていたのは一瞬のことだった。そんなタカシの様子を見て、俺は少し笑ってしまった。
「何を笑っているの、マコト?」
 ヒロキはいつの間にか俺の側まで来ていた。
「たいしたことじゃないさ」
「そう?」
 俺の言葉を確かめるように俺の目を覗き込むと、視線をずらして自分が滑ってきた道を眺めた。漠然とではなく、何かを探そうとする目をしている。
 視線は変わることなく、俺の方に振り向いた。俺を見て瞬きを一度すると、その色は消え笑みを浮かべた。
「それならいいんだ。遅くなってゴメンね、マコト」
 探し物は見つかったのだろうか。ヒロキは俺に深く聞くこともせず、腰に抱きついてきた。その頭を撫でてやる。
「いいよいいよ」
「ホントにゴメンね。連絡も出来なかったし」
「じゃあお詫びの品はスタバのコーヒーな。さすがに寒いから暖かいところに行きたいよ」
「うん」
 ヒロキは俺を腕の中から解放すると、俺の手を取り進み始める。繋いだ手には計数機の冷たい金属の感触があった。
 そういえば今日はヒロキが計数機を操る音を聞いていないことに気付いた。
 初めてだ、こんなことは。
 横断歩道を二度渡り、銀行の所のスタバに入った。本日のコーヒーを二つ、ヒロキが支払いをしている間に席が空いたので先に座る。すぐにヒロキも座ったので一つを手渡した。
「んじゃ、ごちそうになります」
 ヒロキが頷いてから俺は口を付ける。暖まるなあ。
 同じようにしてヒロキもカップに口を付けたが、眉をしかめている。俺は席を立つとカウンターで砂糖を二つもらってきた。一つはヒロキに渡して、もう一つを自分のカップへ入れてかき混ぜる。
「ありがと」
 苦いものを美味しくないと感じたまま無理に飲む必要はないのに、ヒロキはかたくなに俺の真似をし続ける。背伸びをしたくてそうしている訳じゃなく、何かを学んでいる風に見える。
 俺はヒロキが一息つくまで、そんな様子を眺めていた。
「なあヒロキ、今日は数えないのか?」
 計数機を握ったままの手を見て聞いてみる。
 ヒロキは目を見開いて視線を自分の手に落とした。
「あ……」
 自分でも気付いていなかったのだろう。落ち着きのないヒロキが固まっている姿ってのも珍しい見物だけれど、あまりの同様ぶりには驚いた。
「今日、は、慌ててたから……」
「そっか」
 ヒロキが数をカウントしていないことだけで、どれだけ慌てていたのか分かる。時間に遅れてきたことを俺は気にしていないけれど、それを聞くと心の底から許せてしまい、笑みが浮かんだ。
 するとヒロキの手の中からカチカチと計数機の音が聞こえてきた。速いながらも一定のリズムで数を刻む音。
 今度は何を数えているのだろう。
「ヒロキ、お前の見えている世界を俺にも教えてくれよ」
 それは見慣れた世界が違うものに変わる瞬間だ。
 ヒロキは顔を上げると得意そうに微笑み、計数機の数を見せた。
「これが今一時の僕の鼓動の数だよ」
 通常値よりも多いだろう数字に、俺は笑い返していた。


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