指輪の呪い


 有史以来存在し、色々な用途で人々に愛用されてきた指輪。しかし、時としてその所有者を不幸に陥れることもある。ロサンゼルスのとある銀行の倉庫に死を呼ぶ呪いの指輪が眠っているという。

 サイレント映画時代に活躍した銀幕のスター、ルドルフ・ヴァレンティノ。美男俳優のハシリともいわれ、世界の女性を魅了したヴァレンティノだが、彼がスターの座にいたのはたったの5年間だけ。31歳という若さで、この世を去ってしまったのである。

 死因は、今でいう盲腸炎だった。1926年8月、映画の撮影を終え、ニューヨークで休暇中のヴァレンティノは突然激しい腹痛に襲われた。直ちに緊急手術が施されたが、腹膜炎を併発し、あっけなく逝ってしまったのである。

 実は、彼を死へ導いたのは、彼が肌身離さず見につけていた「呪いの指輪」だったのではないか、という人もいる。1920年、ヴァレンティノは、サンフランシスコの宝石店で、小さな宝石がはめ込まれたプラチナ台の指輪を購入した。彼は、その指輪をひと目で気に入って買ったのだが、その指輪と関わったばかりに、人生が暗転してしまったというのである。

 まず、指輪をはめて出演した映画『ヤング・ラジャー』(1922年)は大コケし、それから、2年間、仕事を干されてしまう。しばらく指輪を身につけずにいたが、次の映画『熱砂の舞』(1926年)出演のときに、また指輪をつけはじめたところ、撮影後のニューヨークで倒れ、急逝してしまったのである。

 それだけなら、その指輪が「呪われている」といわれることはなかっただろう。ところが、その後も、指輪の所有者を不幸が襲ったのである。まず、ヴァレンティノの恋人だった女優ポーラ・ネグリがこの指輪をもらうと、その日から体調がおかしくなり、女優を廃業するハメになってしまった。

 1年後、ポーラ・ネグリは、ヴァレンティノにとても良く似た男性に出会った。ロス・コロンボという当時有名だった歌手である。彼女はヴァレンティノにうりふたつであった彼に感動し、『ヴァレンティノからヴァレンティノへ』と言ってあの指輪をプレゼントする。すると、その数日後、彼はギャングの銃撃戦に巻き込まれて死亡。

 その後も指輪の所有者に災難がふりかかる。指輪は、コロンボのいとこの手を経てジョー・カジノという男に形見として譲られた。しかし彼はその1週間後にトラックに撥ねられて死亡した。その頃には、有名人の死亡などもあいまって、この指輪の事は非常に有名になっていた。指輪は彼の弟、デル・カジノの手に渡ったのだが、彼には何も起こらなかった。ところがある夜、彼の家にジェイムズ・ウィリスという泥棒が入った。運の悪い事に彼はそこから逃げる時に警官に見つかり、威嚇射撃が命中してしまい死亡してしまった。盗品の中にはあの指輪があったという。

 ちょうどその頃、ハリウッドの製作者エドワード・スモールが、ヴァレンティノの伝記映画『ヴァレンティノ』(1977年)を作る事になった。彼はその作品の主演に、ヴァレンティノによく似ていたジャック・ダンという元スケートチャンピオンを選んだ。彼はテスト撮影の時にヴァレンティノが着ていた服、そしてあの指輪を身に着けて臨んだが、彼もまた10日後に原因不明の病気で死亡している。

 その1年後、ロサンゼルスのある銀行に強盗が入り、約20万ドル盗んで逃走した。だが、アルフレッド・ハーン以下の強盗団は警察の捜査網にかかり、簡単に捕まってしまった。『あの金庫に、金以外になにが入っていたか知っていたら、他の銀行を選択していただろう』。終身刑を宣告されたアルフレッドが後に言い残した言葉である。そう、銀行の倉庫には あのヴァレンチノの指輪があった。

 結局、指輪はロサンゼルスの銀行の金庫に再び保管されることになった。しかし、その銀行は、1960年にこの指輪を預かって以来、前述のように銀行強盗が入ったり、その後火事になるなど、ロクなことがなかったという。





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