小野さつき



小野さつき(おのさつき 1901年6月14日生)
 [教師]


 宮城県出身。白石実科高等女学校から1918年に宮城県女子師範学校(現:宮城教育大学)へ進学。在学中は3度も学級長に選出された。宮城県女子師範学校を1922年3月に卒業して、刈田郡宮尋常高等小学校(現:蔵王町宮小学校)の教師となる。

 1922年7月7日、担任をしていた4年生児童56人をつれて白石川に野外写生にでかけた際に悲劇がおこる。授業も終わる頃になって暑さのあまり数人が川遊びを始め、そのうち3人が雨で増水していた川に流されてしまった。これに気がついた彼女はとっさに袴の裾を捲りあげて着衣のまま飛び込み、3人のうち2人はすぐ助け出したが、もう1人を助けようとして再び川に飛び込み生徒にたどり着いたところで力尽き、激流に飲み込まれた。知らせを受けた職員一同や村民の捜索により、さつきと児童は川底から発見され、村民と医師による人工呼吸が交代で続けられたが、息を吹き返すことは無かった。学校に赴任してわずか71日目のことであった。事故から一週間後の7月14日、さつきの葬儀が村葬として執行された。

 この事故は日本中に驚くほどの反響を呼び、文部大臣から特別表彰されている。彼女をたたえる唱歌・歌・映画などが製作され、唱歌を作る際、実業之日本社「婦人口論」が全国から詩を募集したところ、一週間で約6000詩の応募があったというエピソードが残っている。三波春夫は「花咲く墓標」という彼女の歌を歌っている。現在、宮小学校門前には殉職記念碑が建てられている。

 1922年7月7日死去(享年21)


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