松尾和子



松尾和子(まつおかずこ 1935年5月17日生)
 [歌手]


 東京都生まれ、神奈川県育ち。戦後、ジャズに惹かれたことと自身及び家族の生活のために歌手となり、レイモンド・コンデのバンド、ゲイ・セプテットの専属歌手のひとりとなる。進駐軍のキャンプやナイトクラブ等で歌ううち、徐々に人気が上がっていき、やがて、赤坂のクラブ・リキ(力道山が経営していた)の専属歌手となり歌っていたときに、フランク永井に認められスカウト。吉田正に紹介されて、ビクターに入社。

 1959年、「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」でレコードデビュー。「グッド・ナイト」は和田弘とマヒナスターズ、「東京ナイト・クラブ」はフランク永井との共唱。当時はベテランや人気歌手でも片面は他の歌手である場合が多く、ビクター及び吉田正の期待の程が窺える。第2弾として発売した「誰よりも君を愛す」(マヒナスターズとの共唱)が大ヒットし、それと共に「グッド・ナイト」もつられる形でヒット、「誰よりも君を愛す」は第2回レコード大賞を受賞、「東京ナイト・クラブ」はその後長らくデュエットソングの定番として根強い人気を博し、松尾の名は一躍スターダムへとのし上がり、後にムード歌謡の女王と称されるようになった。

 1960年にはソロで吹き込んだ「再会」がヒット。その後も「夜がわるい」「お座敷小唄」「再会の朝」「銀座ブルース」とコンスタントにヒットを出すものの、1966年の離婚で人気が降下する。

 1971年ごろ、大学生を中心に熟女ブームのようなものが巻き起こり、五月みどりらと共に人気が再燃。この時期以降タレントしての活動が活発化し、1980年代にはバラエティー番組や情報番組のコメンテーターとして大活躍し、人気を博していた。また女優としても活動している。

 1991年には息子が覚せい剤取締法違反で逮捕され、実刑判決を受ける。このことから、松尾はマスメディアから厳しく批判され、芸能活動の大幅自粛を余儀なくされる。この事に思い悩み、松尾は睡眠薬を多量服用し、自殺未遂を起こすまでに追い込まれていた。

 松尾の息子がまだ服役中だった1992年9月25日、自宅の階段から転落して頭部を強打する。それでも転落直後には、松尾本人は家族に「なんでもない」と無事であることを主張していたが、数時間後に容態が急変、まもなくして死去。死因は脳圧迫死であった。あまりにも突然の事故であり、前述の自殺未遂騒動などから、その死は大きな波紋を呼んだ。

 1992年9月25日死去(享年57)





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