吉永光里



吉永光里(よしながひかり 本名:鈴木田鶴子 19??年6月24日生)
 [タレント/シンガーソングライター]


 北海道出身。ブルーインパルスを始めとする、自衛隊イメージソング作曲・広報活動で活躍。また、各種企業のCMソング等や稲川淳二の怪談ビデオBGMも手がけた。

北海道出身。3才からピアノを習う。中学三年生の時、東京音大を目指し一人、札幌へ出る。北海道唯一の音楽高校のピアノ科合格。その後、東京音楽大学声楽科に合格。中学・高校音楽の教員免許、“2才児からの絵と音楽による才能開発造形” リトミック講師資格取得。東京音大を卒業後、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部に合格。

 ピアノ弾き語りの傍ら、有名ホテル等の専属となり全国で活躍。ここでドラマやCMの制作会社や、テレビ局のプロデューサー等と出会い、CMソングやドラマの劇中音楽、エンディングテーマの作曲などを手がけた。自ら作詞した「地球はみんなの大きな船さ」は「大阪花と緑の博覧会 世界子供音楽祭」の日本代表曲に選ばれ、特別審査員賞を受賞。

 1991年「'91 第1回NHK歌謡新人コンテスト」本選ノミネート及び入賞、NHKホールで歌う。「札幌時計台の歌」作曲部門入賞など、オリジナル曲が軒並みコンテストで入賞し、北海道新聞に何度も大きく取り上げられた。この一連の記事を書いた記者が防衛庁の記者クラブに所属することになり、航空幕僚監部空幕広報室の自衛官を紹介される。

 「朝雲」紙上で、「吉永光里の自衛隊訪問記」の連載を開始。2004年12月、体調を崩して休載するまで11年余にわたって、部隊や隊員の日常をやわらかいタッチで伝え続けた。この間、全国180カ所に及ぶ自衛隊駐屯地・基地を取材や音楽隊との共演のため訪れ、職種・階級を問わず隊員と交流。空幕が発行している小冊子等への執筆、朝雲新聞への連載、飛行開発実験団歌の作詞・作曲、ブルーインパルスのイメージソングの作詞・作曲などを通して空自隊員と仲良くなり、全国の航空祭ではブルーインパルスと行動を共にし、音楽隊とコンサートを行った。最初は航空自衛隊との関係が濃かったが、その後、活動範囲は陸上自衛隊・海上自衛隊へも広がった。「自衛隊に最も詳しく、最も親しまれ、最も自衛官の友人が多い女性」「25万人自衛隊のマドンナ」として知られた。一般メディアにもしばしば執筆、晩年はCSテレビ「チャンネル桜」でもキャスターを務め、自衛隊の広報に尽力した。レンジャー訓練に同行し、ヘビを皮剥ぎから最後まで調理し、一緒に食べるという経験等もしている。

 1999年に乳がんを手術、その後2004年秋に肝臓への転移が判明したが、2004年11月26日には吉永光里への感謝の意味を込めて、自衛隊OBらが企画した「吉永光里〜感謝と激励のチャリティーディナーショー」に、医師の制止を振り切って出演、これが最後のステージとなった。

 2005年1月14日に入院したが、すでに手遅れの状態であった。急を聞いた母・富子さんが北海道から急ぎ上京、必死で看病に当たったが、同月20日に容態が急変。「お父さんは?お父さんと食事がしたい」という言葉を最後に昏睡状態に陥った。その父・重一氏は吹雪で飛行機が遅れ、愛娘の臨終に一歩、間に合わなかった。翌21日10時20分頃、乳癌から来る肝不全により没。

 彼女は自衛隊で初めての記録ホルダーである。民間人で初めて、T-2ブルーインパルスに搭乗し、50分にわたるアクロバット飛行を体験。民間人女性で初めて、戦闘ヘリ・コブラに搭乗。その他、陸自ヘリは全機種搭乗。他にも戦車・護衛艦・潜水艦・輸送機などあらゆるものに搭乗経験をもつ。

 2005年1月21日死去(享年??)


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