エリック・カー



エリック・カー(Eric Carr 1950年7月12日生)
 [アメリカ・ミュージシャン]


 ニューヨーク出身。ブルックリンでオーブンの修理工として働くかたわら、1979年末頃からローカル・カヴァー・バンドFlasherでドラムス、ヴォーカルを担当、ヴァン・ヘイレン、ポリス、カーズ、ナックなどの曲をプレイしていた。しかし、オリジナル曲もなく地元でのショウだけでは展望も見えず、彼はバンドを脱退。

 かつての同僚だったキーボーディストから、ピーター・クリスのキッス脱退を知らされ、キッスのオーディションを受けることを強く勧められる。彼は、「シャンディ(Shandi)」のポール・スタンレーのヴォーカル部分を自分の歌に差し替えたカセットテープを資料として用意し、キッスのオーディションを受け、無事オーディションに合格した。新メンバー・エリック・カーは、1980年7月、ABCの人気テレビ番組“Kids Are People Too”のスタジオでお披露目され、7月25日、ニューヨークのザ・パラディアム公演で初ステージを踏んだ。

 エリック・カーの初参加アルバムは、神秘主義的なアートロック方向に舵を切った1981年11月16日リリースの『〜エルダー〜 魔界大決戦』。エリックは収録曲「薔薇の紋章の下(Under The Rose)」にグレゴリオ聖歌スタイルのコーラスを導入するアイデアを出すなど、アルバム制作に大いに貢献した。1981年の『暗黒の神話(Creatures of the Night)』以降バンドがヘヴィメタル・スタイルに転換するとさらに本領を発揮。得意のヘヴィドラミングでキッスの80年代以降におけるヘヴィ路線の牽引役となった。

 ステージではドラマーとしてのみならずヴォーカリストとしても活躍。キッスのセールスポイントでもあるキャッチーなコーラスを支えたほか、「ブラック・ダイヤモンド(Black Diamond)」、「青い暴走(Young And Wasted)」などの曲ではドラムをプレイしながらリードヴォーカルも務めた。ドラマー、ヴォーカリスト以外に曲作りでもグループに貢献し、「地獄の饗宴(ALL HELL'S BREAKIN' LOSE)」、「アンダー・ザ・ガン(Under The Gun)」、「ノー・ノー・ノー(No, No, No)」などを他のメンバーと共作している。

 ファンに対しては非常に気さくなキャラクターで、他のオリジナルメンバー以上にファンにフレンドリーに接し人気を博した(グループで最も熱心にファンレターに返事を書き、ファンの求めるサインにも気軽に応じた)。

 「ホット・イン・ザ・シェイド」発表に伴うツアー中に喀血。検査の結果、非常に稀な心臓のガンと診断され、手術により心臓の右房の腫瘍と肺の一部を切除した。一時は演奏ができるほどに回復し、シングル「God Gave Rock 'n' Roll to You II」のレコーディングにも参加した。ツアーへの同行も希望し、バンドと共に移動したりもしたが、心配したメンバーは彼に家に帰って休むよう強く求め、彼もそれに応じてメンバーとの連絡を絶ち治療に専念する。

 積極的な治療により病状は回復し、健康状態も一時的に向上したが、その後間もなく動脈瘤を併発し病院に運ばれた。いったんこれを乗り切ったエリックだったが、血流が脳にガン細胞を運んだことにより、最終的に脳内出血をもたらし、そのまま意識を取り戻すことはなく1991年11月24日、エリック・カーは41年の生涯を終えた。

 彼の家族はファンへの感謝の気持ちを込めて公開葬を行い、ファンが彼を見送る機会を作った。エリックの遺体はニューヨークのニューバーグにあるCedar Hill Cemeteryに埋葬された。

 1991年11月24日死去(享年41)


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