イグナツィオ・ギュンティ



イグナツィオ・ギュンティ(Ignazio Giunti 1941年8月30日生)
 [イタリア・レーシングドライバー]


 ローマ出身。1960年代後半から数々のスポーツカーレースに参戦。1968年にはアルファ・ロメオのマシンを駆ってタルガ・フローリオで2位、ル・マン24時間でも4位を獲得している。

 1970年、ギュンティはスクデリーア・フェラーリからクレイ・レガツォーニとシートをシェアしながらもF1に参戦。デビュー戦となったベルギーGPで4位に入賞し注目を集めるも、レギュラーの座はレガツォーニに奪われてしまい、ギュンティのこの年のF1参戦はわずか4戦に留まる。しかし同年フェラーリのマシンを駆って参戦したセブリング12時間レースやタルガ・フローリオで勝利を挙げるなど、スポーツカーの方では依然として好調ぶりをアピール。フェラーリとの翌年の契約も済ませていた。

 しかし年が明けた1971年、WSCの開幕戦となったブエノスアイレス1000kmで悲劇が起こる。165周で行われるレースの36周目、ジャン=ピエール・ベルトワーズの駆るマトラ・シムカMS660がエンジントラブルを起こし最終コーナーでストップ。まだレース序盤でピットが近かったこともあり、ベルトワーズはピットに向けてマシンを押し始める。しかし、後続車が急ブレーキをかけて避けていくという危険な状況だったため、マーシャルはベルトワーズにマシンを置いて安全な場所へ退避するよう指示。その直後、38周目を走行していたギュンティが駆るフェラーリ・312PBが猛スピードで最終コーナーに差し掛かり、ベルトワーズのマシンを避ける間もなく激突しマシンは爆発炎上(ベルトワーズは間一髪で難を逃れた)。直ちに消火作業が行われたが、マシンは骨組を残して焼け落ち、ギュンティはそのマシンの中で焼死した。


 この事故は、ピットに向けてマシンを押そうとしていたベルトワーズの無謀な行為と、マーシャルの不手際が原因とされている。実際、ベルトワーズがピットに向けてマシンを押していた際、後続車が急ブレーキをかけて避けていくという危険な状況だったにも関わらず、マーシャルは危険を知らせるためのイエローフラッグを振っていなかった。またギュンティのマシンを消火していた際も、レースを中断させることもなければ後続車に回避指示を送ることもしなかったのである。このためこの事故は、主催側の運営の怠慢とベルトワーズの無謀な行為が引き起こした「人災」とされアルゼンチン警察が介入する事態にまで発展し、ベルトワーズは逮捕された(のちに保釈金を払って釈放されている)。

 1971年1月10日死去(享年29)


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