カーネル・サンダースの呪い


 カーネル・サンダースの呪いとは、1985年10月16日に、21年ぶりのリーグ優勝に歓喜したプロ野球球団、阪神タイガースのファンが、ケンタッキーフライドチキン道頓堀店の店頭に設置されていたカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ入れ葬った因果で、翌年以降の同球団の成績が低迷している、とされる呪いである。


 日本では「カーネルおじさん」「ケンタッキーおじさん」の愛称が定着している。カーネル・サンダースことハーランド・デーヴィッド・サンダースは、ケンタッキーフライドチキンの創業者である。彼は1980年6月に急性白血病を発症し、肺炎を併発して12月16日に90歳で亡くなっている。ケンタッキーフライドチキンの店頭にディスプレイされているカーネル・サンダース像(FRP製)は、カーネルが60歳だったころの等身大モデルで、身長173cm。眼鏡は本物の老眼鏡であり、2000年代中盤以前は福井県鯖江市産、それ以降は中国産となっている。リボンの色は彼の生前と死後では色が変更されている。自身も来日の際この像が気に入ったということもあり、アメリカの総本部にも日本法人提供の像が展示されている。

 日本国内各地の店舗で、季節ごとの各種衣装(3月の男雛姿、5月の武者姿など)や店舗の地域を代表するスポーツチームのユニフォームを着せられることがあるが、秋葉原店でメイド服を着せたところ、日本法人の要請で中止されたことがある。「小さく前へ倣え」のようなポーズから、客が入店の際手に何かを持たせることもあり、雨の日には傘がかけられていたり、弓道の弓や釣竿、地域によってはスキーまで持たされていることがある。悪戯が多発し、像が誘拐され交差点の横断歩道前や地下道など街頭に置き去りにされたりした。中には、像を誘拐した者がカーネル・サンダースになりきって盗まれた店舗に電話し、店員が発信元の電話ボックスに急行したところ実際に像がボックス内に立っていたり、個人の自宅の庭先に置き去りにされたりするケースもあった。眼鏡やステッキといった部品単位で盗難される被害も多発した。以後、各店舗のカーネル・サンダース像はボルトやチェーンで固定されている。

 1985年10月16日、阪神のセ・リーグ優勝が決まった際、興奮したファンが大阪府大阪市南区道頓堀にあるケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人のランディ・バースに見立て、店員に暴行を加えて制止を聞かずに担ぎ出し、胴上げの末道頓堀川に投げ込んだ。

 この事件以後、阪神は成績低迷に陥り18年間リーグ優勝から遠ざかったため、これを「カーネル・サンダースの呪い」だと呼ばれている。2003年にリーグ優勝を果たしたが、後述のカーネル像発見後現在に至るも、日本シリーズで千葉ロッテに惨敗、2008年には巨人にペナントで最大13ゲーム差からの歴史的大逆転を喫するなど、未だに呪いが続いているという見方もある。

 1985年以降、数年に一度の頻度で大阪市は道頓堀川の川底清掃作業として、船を使ってヘドロやごみなどの除去作業を行っていたが、その際は像を発見できなかった。事件後、道頓堀店から一旦カーネル像は姿を消すが、1992年に復活。今度は盗難されないようにと台座をボルトねじで固定した。なお道頓堀店は、その後1998年に閉店している。

 優勝の翌年、ストライクゾーンの変更によるルール変更の影響もあり、阪神は連覇の期待もあったが逆に開幕から横浜大洋に3連敗を喫した。その後阪神は復調するが主力の掛布雅之がデッドボールによる骨折など度重なる故障、エースの池田親興がベースカバーの際に骨折しそれぞれが戦線離脱。戦力が整わないまま本年のペナントレースを戦う事になる。特に掛布はデッドボールが影響し1988年に引退。また阪神はシーズン中、7連勝、9連勝と大型連勝をしたが連勝はいずれも横浜大洋に止められてしまい最終的には広島、巨人に大きく差をつけられた3位に終わる。ただしこの時(1986年当時)は「カーネル・サンダースの呪い」という言葉はまだなかった。

 翌1987年は球団史上最低勝率の勝率.331を記録。1988年にはバースが息子の病気治療への対応を巡り球団と対立、球団から解雇され引退、責任を取り球団代表が飛び降り自殺をするなど阪神の低迷が続いた。その後、低迷から脱し2003年と2005年にリーグ制覇をしたがともに日本シリーズではパ・リーグのチームに敗退。1985年以降、日本一にはなっていない。また2007年から始まったクライマックスシリーズでも、出場を逃した2009年(4位)を除きいずれもファーストステージ(2位対3位の対戦)の段階で敗れており、日本シリーズ出場そのものも2005年以来途絶えている。また、阪神は日本一前年、即ちカーネル「受難」の前年の1984年にドラフト1位で競合した嶋田章弘をクジで引いたのを最後に、その後12回のドラフト1位指名選手の競合で当たりクジを一切引いてない。

 2009年3月10日、道頓堀川・戎橋下流200〜300メートル付近、南側護岸から約5m、水深約2mの川底地点で、大阪市建設局による水辺整備事業の一環として障害物調査(不発弾の有無確認を最大目的)並びに除去作業を依頼された南海辰村建設が潜水作業員を投入し、磁気探査作業中に反応があった川底を調査していたところ、1985年に投げ込まれたとみられるカーネル・サンダース像の上半身が発見され、台船のクレーンで引き揚げられた。引き上げた作業スタッフたちはこれを死体と勘違いしたが、すぐにカーネル・サンダース像であることを確認し、ヘドロにまみれて灰色になり眼鏡や手首も外れてしまっていたが、原形は留めていた。翌3月11日にも潜水作業員が引き続き調査したところ、8時53分に右手、9時頃に下半身が発見され引き揚げられ、11時25分頃に前日見つかった上半身部分と合体し、同じ像のものと確認された。

 下半身・右手発見後の時点で眼鏡・両足首・左手は紛失状態であり、付近を入念に調査したが発見の可能性が薄いため、同日捜索開始から50分後に作業打ち切りとなった。

 発見された像について日本法人は、2009年3月時点で他に行方不明の像は無く、外形・発見地点などの要素から当時に投げ込まれた像に間違いない、とコメントしている。像の処遇について、元来の所有権は道頓堀店にあったがすでに閉店しているため、日本法人が引き継いだ形で大阪市と協議していたが、同年3月11日に日本法人へ像の返還が決定し、同年3月13日に大阪市役所にて日本法人社長に引き渡された。像は専門家にて検査と最小限の修復を行い、当面大阪市内の警備会社金庫で保管されることになった。紛失状態の眼鏡は、投げ込まれる以前に掛けていた同型のフレームが1990年前後まで製造を担当していた鯖江市内のメーカーに残存しており、福井県鯖江市と福井県眼鏡協会から日本法人に贈呈された。その後は甲子園球場内の店舗にて公開する構想や2010年春に完成予定の甲子園歴史館に展示する構想もあった。

 この像は2009年6月25日に、日本法人が実施している「チキン感謝祭」に併せ、NPO「文化財保存支援機構」による修復作業後の姿が住吉大社で公開され、「おかえり!カーネル」と命名された。同年8月に大阪市内で実施されるイベント「水都大阪2009」で展示された。

 しかし、甲子園歴史館から断りの連絡があったこと、人形のモデルでもあり同社の創業者であるカーネル・サンダース本人の生前のキャラクターを考慮したことなどから、2009年12月17日をもって表舞台からの引退が決まった。その後、像は甲子園球場最寄りの阪神甲子園店での展示が決定し、2010年3月19日から常設展示が実施されている。


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